泥沼遺産相続 顛末記

自分がこの3年で経験した泥沼遺産相続の顛末記

登場人物1

都内で3代続いた青果業店主。  

大学の法学部まで出たのに、家族制度の関係で不本意に家業を継いだ。

「血」の薄い血縁で、祖父の二十七回忌以降集まることもなく、父本人の葬儀でも全員集まることはなかった。

仕事は熱心ではなかったが、その分町会の仕事には一所懸命だった。

本業は町会長。と自分が言うとまんざらでもない顔をしていたのをよく覚えている。

理想の父親像はサザエさんの「波平」

ドリフターズいかりや長介のセリフで「わたしゃこのウチの主だよ」というセリフがあって、そのセリフをよく本気?で言ってた。

昔ながらの”昭和”の父親。

言葉少なめ。「忖度」しなさい!って感じで、あまり多くを親子でもしてこなかった。

その多くを語ることなく、逝ってしまったのが全ての元凶だという考え方もあるが、それは「お約束違反」になるので触れないことにします。

 

はじめに

2019年1月20日

「最近のあなたの態度に腹を立てたので、私も相続権を主張することにしました!」と長年「私は父に何かあっても相続放棄はするから、その代わり両親の面倒はよろしく」と言って何もしてこなかった豚姉の一言から、まさかTVドラマのような、こんなことを書くとTVドラマに失礼だ・・・。犬も食わない泥沼遺産相続がはじまるとは、まだ自分も妻もこの時は考えていなかった。

・・・・・

2020年6月。

相続が終わってまだ半年しか経っていないけれど、我が家もようやく落ち着いて、この騒動を振り返る心の余裕が少し生まれました。

自分の記録のため、また今後「介護」や「相続」でお困りになるどなたかの何かのためになったり、同じ泥沼遺産相続を経験された方が「自分だけじゃなかった!」と共感していただけたらと思って書き始めてみることにしました。

表現には、自分の素直な気持ちを書くために、お読みいただく方にはご不快な思いをかけるかもしれませんが、どうぞお許しいただければ思います。